僕の応援している方のお友達で複数の大手の事務所からスカウトを受けてどこにすればいいか悩んでいる方がいるのですが、一番良い事務所の選び方は僕的にはその事務所を辞められた方に聞く事かなと思います。
どこの事務所で詳しい説明を聞いてもスタッフさんからは「都合の良い話」しか聞けませんから。
僕は移籍されたり辞められる方を大勢見てきましたが、ファンと言う立場なのでスタッフさんには言う事の出来ない"その後の本音と内部の真実"もたくさん聞く事となりました。
中には辞めた後に街中で偶然会ってしまいその場で泣いて話してくれた人もいました。
当たり前の事なのですがどこの事務所もどんなに夢を応援してくると言っていても、それは商品だからであって"本当の家族の愛"では無いんですよね。
もちろん素敵なマネージャーさんに巡り会えて幸せに夢を叶えられる方もいますがその数はとても少ない。
僕の口からは辞めた後のお話をする事は出来ませんが、この広い芸能界ではたくさんの方が「その後」の事をインターネットやブログ、書籍などで語っています。
その中でもAKB48市川美織さんは記事が出た当時に大きく話題になったのでご紹介しておきます。
今ではAKB48に所属している訳ですからどこまでが真実でどこからが作られているのかは分かりませんが、苦労と涙が伝わって来る深い内容となっております。


AKB48Wikiエケペディアより
http://www23.atpages.jp/akb49/?%E5%B8%82%E5%B7%9D%E7%BE%8E%E7%B9%94

>AKB加入以前
小学5年生、母親と原宿を歩いている時にスカウトされ、スターダストプロモーションに所属。子役・ジュニアアイドルとして芸能活動を開始する。


>「(事務所所属時)受けたオーディションは、軽く100回以上にもなります。1日の2回受けることもざらにありました。オーディションには、母が付き添ってくれました。その度にお仕事を相対したり、休んだりしてくれたんです。手続きや資料集めも母任せ。掃除や洗濯などの家事もしながらですから、本当に大変だったと思います。なのに私が合格できたのは、ほんの数回だけ。それもエキストラ同然で、映画や舞台に出たり、雑誌に小さく載った程度でした。でも、いつか運が向いてくるはず。そう励ましてくれました」。


>中学2年生頃、そんな売れない時代を経験すること4年。「契約期間の更新が迫った頃、事務所から『もう更新できない』と告げられてしまいました。もちろん私もショックだったのですけど、その夜、見てしまったんです。家族が寝た後で、声を押し殺して泣く母の姿を…。もともと私一人が芸能界に憧れていた訳ですが、そこまで付き合わされたら、私の夢が母の夢にもなって当然ですよね。自分の時間のほとんどを娘の夢に捧げている訳ですから」


>前の事務所を解雇されたあと、次にボックスコーポレーションに所属。「次に入った事務所には、2年もいませんでした。こちらも契約を更新して貰えなかったのです。学校の帰りの駅で電話が鳴り、『残念ですが、次の契約は結べないと思います』。あまりに急な通達に呆然として、電車に乗る気にもなれませんでした。うわ〜、どうしよう。お母さんになんて説明すればいいんだろう。家に帰ると、私は母に言いました。『おなか空いた〜』。つまり、言い出せなかったんです(笑)。それからは、毎週通っていた事務所のレッスン日には、『レッスン行ってくるね』と家を出て、さて、今日はどこで時間をつぶそうか。あの公園は先週も行ったしな、なんて状態です。一度なんか、家を出ようとした私に母が、『ついでに一緒にお買い物しよう』と誘ってきて、ヒヤヒヤしたり。でも、ずっと隠している訳にもいかないし、そのうちバレてしまうだろう。そこで私は決めました。ただ悲しませるんじゃなくて、次のステップを自力で見つけてから、母に報告しようって。それから2ヶ月後、いよいよ母に伝える日がやってきました。順序としては、先に2つ目の事務所をクビになった報告をするべきだとは思ったのですが、やっぱり、“良い報告”の方が言いやすい訳です。私は母に向かって言いました。『AKBに合格したよ!』。そして早口で悲しい方の報告と、それを2ヶ月黙っていた事を謝りました。今までずっと支えてきてくれた母への、私なりの“恩返し大作戦”だったんですけど、果たしてあれは成功だったのかどうか…。だって、天国と地獄を同時に報告されてしまった母は、喜ぶべきか悲しむべきか、怒るべきか褒めるべきか分からない、かなり複雑な顔をしていたから(笑)。今でも、たまに母と二人でその日の事を想いだしては、笑いあってます」