自分は作られたアイドルが嫌い。
自分の為に心を犠牲にして得られる幸せ。
自分の幸せが自分の幸せだと考える人がいる事は当然だとしてもそれは寂しい気がする。
もしこの世の全ての人が自分の幸せを自分の幸せと感じてしまったら幸せは1人につき1人分しか生まれない。
でもこの世の全ての人が回りの幸せを自分の幸せと感じる事が出来るならば幸せは無限に増えていく。
愛とはそういう意味なのではないだろうか。
今のタレントに求められる物。
それは愛であると思う。


どんなに推されてもどんなに成功しても感謝の気持ちや優しい心、人に対する愛が無ければそれを維持する事が出来ない事はメディアを通じた印象が証明している。
きっと本人はそんなものを維持しなくても冨と名声や最愛のパートナーと出会えて自分にとってそれが最高の幸せだと思っているだろう。
でも10年前の自分に問い掛けて欲しい。
「今の自分は幸せだけどこうなりたかったのかな?」と。
もしかしたら過去の自分は否定するかもしれない。
そしてもし否定したら今の自分の存在とはいったい何なのだろうか。
そう感じるかもしれない。


この世の中には成功したはずなのに幸せについて考える人がいる。
それは本当は成功では無いのではなかろうか。
若い時から特殊な環境で育てられ回りの大人に心を構成されて本来の自分自身に気付けないタレントがたくさんいる様に見える。


自分自身を見失っても自分自身を見失わない事。
この矛盾が今を生きる精一杯の回答だと思っている。


回りの人が見えて無くても相手の心を見れる人
中二病であっても断片は素直のままでいられる人
自分自身を見失っても芯の残ってる人
全て欠陥であるが完成された人なんてほんの一握りしかいないだろう。
欠陥である事は人として生きている価値があると思う。
ゴールが無いのに歩き続ける人は完成された道を歩き続ける人よりも遥に困難な事でずっと強いと思う。



「2008-12-18 22:44:31」
とある方がブログを更新したので読んだが何だかとても心に響いた。
それは何でも無いただの気持ちを書いただけのブログだ。
ただ1つ他と違う事は嘘がない事。
今年の終わりに近づく中でまた1人の最高にステキな方に出会う事が出来た。
5年後10年後の未来。
この業界に自分を構成する為の嘘は必要なくなるんじゃないか。
人を商品として売る作為的なこの世界にまた1つ希望の光を見つけられた気がする。